はまぞう › はるの暮らし › すみれと春野町 その2

2012年03月02日

すみれと春野町 その2

すみれと春野町の関係について。

春野町では「すみれの花咲く頃」という曲が
防災無線で1日3回流れていることは以前に書きました。

この「すみれの花咲く頃」という曲、ご存知の方はどのくらいいるのでしょうか?
私は恥ずかしながら全く知りませんでした。

春野町出身のこの方が作った曲だそうです。
すみれと春野町 その2
白井鐵造(しらいてつぞう)です。

実は「白井鐵造記念館」が春野町にはあります。
すみれと春野町 その2
白井鐵造は、あの宝塚歌劇団で劇を作り、歌を作り、振り付けをし、
理事長も勤め…と、宝塚で大変活躍された方だそうです。
彼が作った作品「パリゼット」の主題歌となっていたのが
「すみれの花咲く頃」という曲だということ。

この曲はもともとウィーンの唄で「白いリラの花が再び咲く頃」
という題名で、日本では「リラ」はなじみが無いので
「すみれ」にしようと白井鐵造が歌詞を作ったそうです。


ちなみに歌詞の一部がこちら。

すみれの花咲くころ
初めて君を知りぬ
君を思い 日ごと夜ごと
悩みしあの日のころ
すみれの花咲くころ
今も心ふるう
忘れな君
我らの恋
すみれの花咲くころ


毎日防災無線から流れていた曲は、甘酸っぱい春の歌だったんですね。

名古屋出身の私は、すみれがいつの季節に咲くのか、
そもそもどんな花なのか知らずに育ちました。
白井鐵造が現在の都会で生まれ育ったら
この歌詞は生まれてなかったでしょう。

春野の自然が育んだ偉大な人物のおかげで
春野町は現在でも宝塚市との交流を続けているそうです。

勉強になりました。




この記事へのコメント
こんにちは、初めまして!
春野町と宝塚歌劇団との交流はながいようですよ
私達の頃の天竜市・春野町の中学の修学旅行は宝塚歌劇の観劇がありましたから
修学旅行で宝塚観劇は当時としては珍しかったのでは?
春野町には、もう一人
偉大な功績をのこされた方がいらしゃいますね
日産の名車、フェアレディZの生みの親
フェアレディと宝塚
やはり、何か繋がっていますね
Posted by 天林OB at 2012年03月02日 17:00
天林OB 様


初めまして!
コメントありがとうございます。

修学旅行で宝塚歌劇を見るなんてすごいですね!
交流に力を注いでいる証でしょうか。

フェアレディZの生みの親も知名度が高いのでしょうか?
また色々勉強してみます。

情報ありがとうございます!
Posted by フジコ at 2012年03月04日 01:26
浜松市に合併の前の春野町があった頃 電話の保留時間は すみれの花咲くころ が流されていました 今はどうなっているのでしょうか
Posted by 本間 at 2015年07月03日 21:11
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
すみれと春野町 その2
    コメント(3)